感謝すること
不倫のニュースが取り上げられているのを見るたび、
マスコミからまるで犯罪者のような扱いを受けていることに違和感を感じる。
先日のコインチェックの騒動に関してもそうだ。
そして当の本人がそのような扱いを受けて「罪を背負って生きていきます」と発言すらしてしまっている。
道議的には問題があるかもしれない。いや、それこそ刷り込みがなされていると思うことの一つでもあるが、罪に問われるようなことでもない事に対してでさえ、槍玉に上げられてしまうのだ。
そういう「風潮」を作り上げることができる力がマスコミにはある。
何も考えていない大多数の人たちはそのような情報を鵜呑みにし、「そうだ」と賛同の声を上げることで大きな潮流となって行くのだ。
そうなってしまえばもうそれが正しいかどうかは問題ではなくなってくる。
たとえ間違っていることであったとしても大衆の意見が全てなのだ。
それが誰かによって煽動されていることにも気付かずに。
かくいう私自身のこれらの意見も、実は全くゼロから考え出されたものではない。
本を読んで知ったこと、誰かからの意見、実際に自分が経験したこと、
さまざまな情報が積み重なってできている。
今回のテーマも、そんな中の一つであると言える。
なぜ「感謝」することが必要なのか?
誰かに対して「ありがとう」と言うことは、他人のためではなく本当は自分のためになると言う考え方がある。
人に向けて言い放った言葉を一番良く聞いているのは他でもない、自分自身だということを聞いたことがあるかもしれない。
私もポジティブな言葉を意識的に使う・取り入れるということを実践している。
繰り返し聞いた言葉はやがて潜在意識に取り込まれ、その言葉通りの人間になると言うものだ。
聖書のはじめには言葉があったというし、日本にも言霊という考え方がある。
NLPの手法にもアファメーションがあり、実践的な方法論としても確立されたものである。
話を戻すと、「ありがとう」は「有り難い」、つまり滅多にないことに感謝することに由来している。
誰かに何かをしてもらったとき、してもらって当然のことだと思うことなく、
何もしてもらえないことが普通だと捉え、何かしてもらえることは奇跡的なことなんだ、
自分は特別な扱いを受けていることに対して、「これは滅多にないことです」、
「私はこんな幸せなことにあったことに感謝しています」と口に出して表すことになる。
「私は幸せです」と口に出せば、それを聞いた脳は「私は今幸せなんだ」と認識し、
内分泌系などを通じて幸せを感じている状態を作り出します。
言い換えれば幸せを自分に「引き寄せる」ことに繋がる。
心が幸せな状態であるならば、誰かを手伝ったり、気遣ったりする余裕も出てくるだろう。
そうすれば、あなたの周囲の人間にも「幸せ」が波及していき、人間関係が良好となり、その結果として周囲に与えた「幸せ」が自分にも返ってくることになる。
どんなに小さなことにでも、当たり前と思わず感謝して「ありがとう」と言ってみよう。
水道の蛇口からいつでも水が出てくることでもいいし、3食欠かさずご飯が食べられることでもいいし、電車が止まることなくダイヤを乱すことなく動いていることでも構わない。
これらすべてのことが、知らない誰かがいつも支えてくれているのだ。
そして誰かの努力の結果が、今の私たちの命や生活に繋がっている。
それに気付き感謝して「ありがとう」と言うことができたとき、
あなたを中心に幸せが広がっていくことだろう。