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今日から3日間の不動産投資の集中講座がスタートした。

 

3日続けて朝から夜の7時過ぎまであるので、結構な長丁場だ。

 

不動産の勉強は長期的な目線で始めようと思っていたが、

今日からいきなり収入が増えるというようなものではないということだけは断言できる。

 

物件を買いたい地域の家賃相場を徹底的に調べ上げた上で、

相場よりも利回りなどの条件が良い物件が見つかって初めて購入することができる。

 

それまでは毎日欠かさず調査を続けていく必要がある。

 

問題は、今日今月というように短期的なスパンで収入を取れるようなやり方を

考えているのだが、いまひとつ答えが出てこない。

 

ネットのビジネスにしてもトレンドアフィリエイトがいいのか、

それともコピーライティングのスキルを身につけて商品を広告していくのが良いのか、

あるいは内職みたいな形で当面の月々の収入を増やして行こうか、

 

自由度が高すぎるがゆえに、何をやるべきなのか見失ってしまっている。

 

判断に足りうる十分な調査ができていないのかもしれない。

 

迷ってばかりいる時間はないはずなのだけれど、

これでは守れるものも守れない。

 

私でも大切にしたい人はいるし、それが一刻も早く実現できるようにしたいし、

もっと人とコミュニケーションが上手に取れるようになりたい。

 

本もたくさん読みたいし、勉強したいこと、経験してみたいことが数え切れないほどある。人の役に立てることもまだやれていない。きちんと恋愛もしたい。

 

そういうとき、真っ先に必要なのがお金だと思う。

この辺の感覚は昔から変わっていないのだと思う。

 

貧乏は敵だ、と。

 

もうそれはやりたいことをさせてもらえなかった過去の自分が経験しているから。

 

会社から独立して生きていける力を身につけていかなければ。

 

自分の持っている価値をお金に変えることをしなければ。

 

何度でも足掻いて、諦めずに、続けて行こう。

 

 

ただの日記

金曜日仕事が終わった後、不動産投資のセミナーに通っている。

 

今回は物件の取得戦略について教わった。

 

内容に関してはまた機会があれば記事にしてみようと思う。

 

セミナーに参加し続けていると、回を重ねるごとに理解できることが多くなってきていると感じる。

 

同じ内容を反復して学習することにも確かな意味があると思う。

 

例えば記憶の定着を図ることであったり、頭にある情報を整理した上で学習することにより理解度を高めることができると考えている。

 

セミナーの中でも触れられていたが、どのような物件を手に入れるのかを明確にしていく必要があると言われた。

 

物件に限った話ではなくても、求めるものを明確にイメージすることが大事だということに言及されている。

 

自己啓発や目標設定について書かれた本を読むたび、過去に参加していたセミナーの内容でも、マーケティングで顧客を絞り込むにあたっても同じようなことが言われている。

 

これは自分にとっての「課題」なのかもしれない、と思った。

 

現段階では自分の中でこれから何に取り組むのか、いろんな選択肢を持っていて、

やることはたくさんあるけど目標がきちんと定まっていない自覚はある。

 

何とか早い段階でやるべきことを定めていきたいと考えているし、

そのためには少しづつ行動に移していかなければならないだろう。

 

迷っている時間が長ければ長いほど、目的の達成は遠のいてしまう。

 

こうして迷って、悩んで、選び取るプロセスが生きる上で必要なものなのかどうかも知らない。

 

ただ、迷わずひたすらに行動し、一秒でも早く結果を手にすることができるなら、

それで構わないと思う。

 

明日からの三連休も短期集中の予約を入れているので、今日はこの辺りにしたいと思う。

 

 

自分の意見を持つということ

日々何かの情報を発信し続けるということはなかなかに難しいものだと思う。

 

テレビ、新聞、SNS、読んだ本など、情報そのものは溢れているが、いざ自分が発信する立場になると、さて何を文にしたためたら良いものかと考えてしまう。

 

今までならば有益な情報でもなければ出す必要もないだろうと、自分の中で完結させていた。

 

今は内容はともあれ、毎日欠かさず更新を続けていくということを最優先にしている。

 

だから、日々自分の思ったこと、感じたこと、考えていることを文字という形に残していくことに今後もなっていきそうだ。

 

正直に言えば、朝起きて会社へ行って、変わりばえのない時間を過ごして、また家に戻ってこうしてパソコンに向かい合っているのだから、あまり益のある情報を流すことはないのかもしれないと思っている。

 

それでも、わずかに見聞きしたことや経験したことから学びを得るためには、さまざまな情報に対して敏感である必要があるし、実際意識して情報の取捨選択をするようになってきているのを感じている。

 

時にはより詳細な情報を手に入れるために調べることも必要になって来ることもあるかもしれない。

 

こうしたアウトプットを前提とした活動を続けていくことで、自分も少しづつ変わっていくことができるかもしれない。

 

今後は多くの人の興味や関心を引く内容の記事や、本当に求められている情報を提供できるようにして行きたい。

 

自分のためにやっていることだが、同時に人のためにやっていることでもある。

 

人生においては練習はない、すべてが本番であると個人的には考えているが、

 

このブログを継続している目的としては練習や実験という意味合いも強い。

 

まず自分が思ったことを素直に表現できるように訓練を積む、ということ。

 

それと周りの評価やPV数などは気にせず、臆することなく自分の想いを伝える場を作って行きたい。

 

周りを気にしていると自分のしていることの価値を、世に出す前から自分で低いと決め付けてしまって、何もできないままになってしまうだろうと思うし、

 

評価される前に引っ込めてしまっては、それが良かったのか、そうでないのかもわからないままだ。

 

この世を生きていく以上は、きっと答えを出し続けていくしかないのだ。

 

呼吸をしなければ心臓が脈を止めてしまうように、

レストランで食べたいものを口に出して伝えなければ注文が通らないように、

告白しなければ恋人になれるかどうかわからないように、

 

それぞれの目的に応じたアクションが必ず存在している。

 

他人に評価を下されることを怖がってばかりいても、幸せにはなれない。

 

自分の目的のために、その結果を受け入れていこうと思う。

 

 

 

習慣を変える力

今日は用事があって休みを取った。

 

少し時間があるのでブログを更新することにしておいた。

 

前に行動することが大切だという記事を書いているが、それと同じくらい

 

「先延ばしにしない」ということも大切だと思う。

 

あらゆる出来事が自分にとってベストなタイミングで舞い込んで来るとは限らない。

 

それは結果として失敗になるかもしれないし、もしかすれば勝機かもしれない。

 

実際に行動に移すまでは誰もわからないのだ。人は神様じゃない。

 

目の前に現れるチャンスを逃さないことを常に意識しておきたい。

 

タイトルの「習慣」は人生を変えるために必要なことだ。

 

確かこんなはず内容だったはずだ。

 

意識が変われば、感情が変わる。

 

感情が変われば、行動が変わる。

 

行動が変われば、習慣が変わる。

 

習慣が変われば、人生が変わる。

 

もし間違いがあったら指摘してほしいが、主旨は伝わっていると思う。

 

「行動」と「習慣」の間には「継続」という要素が含まれていると考えたほうがいいだろう。

 

実際に行動を習慣化させるためには、三週間が必要だと言われている。

 

人には恒常性というものが備わっており、無意識に今までと同じ行動パターンを取ろうとする力が働いている。

 

だから最初に行動を変えるためには意識的に行動、継続する必要があるのだ。

 

例えば自転車に乗るのに、どうやって操作しようかと考える必要があるだろうか?

 

普通に乗れる人は何も考えずに乗りこなすことができるだろう。

 

だが、まだ自転車に乗ったことのない人は違う。

 

自転車に乗れた時の感覚を掴むまでは練習が必要であるように、行動もまた意識的に変える必要があるのだ。

 

この場合、行動する内容の良し悪しはあまり関わっていないように思う。

 

「習慣が変わる」という結果が得られるまで、とにかく「練習」していくしかない。

 

そこから先は、自動化された習慣を身につけることができるだろう。

 

むしろそれをしないと気持ち悪いという気にさえなるだろう。

 

人並み以上に努力をし続けている人は、こういう力を身に付けているのだろう。

 

最初こそつまづきやすいかもしれないが、人生全体から見るとそこまで長い期間ではない。

 

いい習慣を手に入れてより良い人生を過ごしたいのなら、役立ててみてほしい。

 

ガイアの夜明けの放送を見ている。

 

タイトルは「後悔しない”供養”」。

 

東京ではお墓を買う費用がなく、供養することができない人が多いのだという。

 

ビジネスとして側面の強い供養がある一方で、

残された家族の気持ちに寄り添いながら、納得のいく弔いの形を模索する僧侶の姿が印象的だった。

 

そんな姿を見ると自分にも何か、困っている人の助けになれることはないだろうか?

 

仕事の根底とは、お金を稼ぐことが目的ではなく、人助けをすることにあるように思う。

 

それは心からの善意から来るものであってほしいと、私は思う。

 

「仕事をする」ということが「自分の生きる目的や理由」と重なった時、

自分らしい生き方を実現できるようになるのかもしれない。

 

チャンスとリスクと行動と

「何かを学んだとき、それがどんなに良い教えであったとしても、行動しない限り何も変わらない。」

 

これと同じような言葉を今まで何度聞いたことだろう。

 

頭では分かっている。でも行動できない。

 

そんな経験をたくさんしてきた。

 

「今度こそ変わりたい。」

 

そんな想いを抱きながらも、何もできないままだったから何もできなかった今の自分があるのだ。

 

「あの時行動していれば、継続していたら、今のような結果にはならなかったかもしれない。」

 

そう思うと悔しい。

 

さっき、月にたったの4000円の出費だが、今の現状を考えて迷っていた。

 

目の前にあるチャンスと、リスクと呼ぶにはほど遠い小さなリスクでさえ悩んでいるのだ。

 

そんな人間のままでは自分の人生を変えることさえ難しいだろう。

 

思うに、目の前に現れるチャンスとリスク、恐怖と向き合って乗り越えいくことを成長と呼ぶのかもしれない。

 

「神様は乗り越えられない試練は与えない」

 

だから、お試しから始めていくことを決めた。

 

今の自分には、それを引き受けるだけの理由がある。

 

ひとつひとつの行動は小さなものに過ぎない。

 

そんな選択を繰り返し、小さな行動を積み重ねていく。

 

このブログを更新することも、その中のひとつだ。

 

 

 

 

 

 

感謝すること

不倫のニュースが取り上げられているのを見るたび、

マスコミからまるで犯罪者のような扱いを受けていることに違和感を感じる。

 

先日のコインチェックの騒動に関してもそうだ。

そして当の本人がそのような扱いを受けて「罪を背負って生きていきます」と発言すらしてしまっている。

 

道議的には問題があるかもしれない。いや、それこそ刷り込みがなされていると思うことの一つでもあるが、罪に問われるようなことでもない事に対してでさえ、槍玉に上げられてしまうのだ。

 

そういう「風潮」を作り上げることができる力がマスコミにはある。

 

何も考えていない大多数の人たちはそのような情報を鵜呑みにし、「そうだ」と賛同の声を上げることで大きな潮流となって行くのだ。

 

そうなってしまえばもうそれが正しいかどうかは問題ではなくなってくる。

たとえ間違っていることであったとしても大衆の意見が全てなのだ。

 

それが誰かによって煽動されていることにも気付かずに。

 

かくいう私自身のこれらの意見も、実は全くゼロから考え出されたものではない。

 

本を読んで知ったこと、誰かからの意見、実際に自分が経験したこと

さまざまな情報が積み重なってできている。

 

今回のテーマも、そんな中の一つであると言える。

なぜ「感謝」することが必要なのか?

 

誰かに対して「ありがとう」と言うことは、他人のためではなく本当は自分のためになると言う考え方がある。

 

人に向けて言い放った言葉を一番良く聞いているのは他でもない、自分自身だということを聞いたことがあるかもしれない。

 

私もポジティブな言葉を意識的に使う・取り入れるということを実践している。

繰り返し聞いた言葉はやがて潜在意識に取り込まれ、その言葉通りの人間になると言うものだ。

 

聖書のはじめには言葉があったというし、日本にも言霊という考え方がある。

NLPの手法にもアファメーションがあり、実践的な方法論としても確立されたものである。

 

話を戻すと、「ありがとう」は「有り難い」、つまり滅多にないことに感謝することに由来している。

 

誰かに何かをしてもらったとき、してもらって当然のことだと思うことなく、

何もしてもらえないことが普通だと捉え、何かしてもらえることは奇跡的なことなんだ、

自分は特別な扱いを受けていることに対して、「これは滅多にないことです」、

「私はこんな幸せなことにあったことに感謝しています」と口に出して表すことになる。

 

「私は幸せです」と口に出せば、それを聞いた脳は「私は今幸せなんだ」と認識し、

内分泌系などを通じて幸せを感じている状態を作り出します。

 

言い換えれば幸せを自分に「引き寄せる」ことに繋がる。

 

心が幸せな状態であるならば、誰かを手伝ったり、気遣ったりする余裕も出てくるだろう。

 

そうすれば、あなたの周囲の人間にも「幸せ」が波及していき、人間関係が良好となり、その結果として周囲に与えた「幸せ」が自分にも返ってくることになる。

 

どんなに小さなことにでも、当たり前と思わず感謝して「ありがとう」と言ってみよう。

 

水道の蛇口からいつでも水が出てくることでもいいし、3食欠かさずご飯が食べられることでもいいし、電車が止まることなくダイヤを乱すことなく動いていることでも構わない。

 

これらすべてのことが、知らない誰かがいつも支えてくれているのだ。

そして誰かの努力の結果が、今の私たちの命や生活に繋がっている。

 

それに気付き感謝して「ありがとう」と言うことができたとき、

あなたを中心に幸せが広がっていくことだろう。